未来の宇宙にも“危険外注化”が?…笑えるけれど悲しいクローン人間の映画『ミッキー17』
2025年02月18日

「ヘイ、ミッキー。死ぬのはどんな気持ち?」
クレバスにはまって身動きもできないミッキー(ロバート・パティンソン)を友人のティモ(スティーヴン・ユァン)が見下ろしながら言う。
くすくす笑いながら恐ろしい質問を吐き出す彼の顔に唾でも吐きたいような心境になるが、ミッキーはたいしたことではないと言うように、彼に別れのあいさつをする。
ミッキーがティモの言葉に傷ついたり、自分の代わりに火炎放射器を“救出”した彼を恨んだりしない理由は、ミッキーがエクスペンダブル(Expendable・消耗品)であるためだ。危険な任務や生体実験に投入され、死ねばクローン人間に生まれ変わり、また仕事場に出るのが彼の職業だ。
死を避けられないミッキーが望むのは、できるだけ苦痛なく生を終えることだ。凍え死ぬのがいいか、それとも怪生命体「クリーバー」に食べられて死ぬのがいいのか、悩んでいたところティモが憎たらしくあいさつする。
17日、韓国の試写会でベールを脱いだハリウッド映画『ミッキー17』は、ポン・ジュノ式のブラックコメディーが際立つ作品だ。ポン監督が、初めて挑戦したSFジャンルであるうえ、彼が演出した映画の中で最多の制作費(約1億1,800万ドル推算)が投じられた大作だ。悲劇を喜劇のように解きほぐす腕前が、依然として光る。
ポン監督は、これまで、『スノーピアサー』(2013)や『パラサイト 半地下の家族』(2019)などを通じて、資本主義の弊害と階級問題を絶えず風刺してきた。
『ミッキー17』が描く2054年の社会は、2つの作品より暗鬱だ。権力者たちは、高度に発達した先端技術を利用し、エクスペンダブルを絶えずつまみだす。いくらでも代替できる人々を、似たような境遇の労働者すらバカにする。ミッキーが死に至るまで、どのような苦痛を感じるのかに関心を持つ人も、もちろんいない。
ミッキーがエクスペンダブルを自任するようになった過程と、どんな業務をするかに対する話は、映画の前半に集中している。
彼は、地球でティモと共にマカロン店を開いたが失敗し、サラ金に苦しめられる。金を返さなければサラ金業者に殺されるのは目に見えている。元国会議員のマーシャル(マーク・ラファロ)が推進する氷の惑星「ニップルハイム」の開拓団に志願し、地球の外に逃げようとするが、特別な技術がない彼としては、体で済ませるエクスペンダブル以外、方法がない。結局、身体情報と記憶をスキャンし、死ねばプリンターのような機械で新しく生まれ変わることにする。
哀れな彼の顔からは、この時代の青年の姿が重なって見える。特に「危険の外注化」が、社会問題に指摘されてきた韓国の観客たちにとって、危険な作業現場に向かう彼の歩みは、見慣れた光景のように映る。
17番目のミッキーが、クレバスで息を引き取ったと勘違いした人たちが、18番目のミッキーをプリントした後、話はまた別の方向に展開される。ミッキー17とミッキー18はいずれも実存を主張し、お互いに「死なない」と言い争う。
この世界ではエクスペンダブルは許容するが、エクスペンダーが数人いるマルチブル”は禁止される。したがってミッキー17とミッキー18のうち、どちらか1人は必ず死ななければならない。
以前の自分が死に、次の自分が誕生した今までとは異なり、自分が同時に存在する状況に直面したミッキーは混乱するばかりだ。苦痛を耐えて仕事をしてガールフレンドのナーシャ(ナオミ・アッキー)と恋に落ちたりもしたのは、本物のミッキーなのか、それとも数多くのミッキーのうちのひとつにすぎないのか。ポン監督は、「クローン人間は遠い話ではない」と、今の世代の観客に問う。
クリーバーを中心にストーリーが展開される後半部では、『トニ・コレット』(2017)が思い浮かぶ。人間に他の生命体の人生をはく奪し、基盤を奪う権利があるのか、もう一度考えることになる。
憂うつなストーリーだが、ポン監督特有のユーモアのおかげで、にやりと笑いが漏れる。
最も目立つキャラクターは、マーシャルとイルファ(トニ・コレット)夫婦だ。ショーマンシップに長けているが、すべての決定を妻に先送りする無能なマーシャルと、料理のソースに奇怪な執着を見せるイルファの姿は、こっけいでありながらも、どこかにいそうな独裁者夫婦のようで、恐ろしくもある。
マーシャル役は最近、イギリスのロンドンの試写会とベルリン国際映画祭で、『ミッキー17』が公開された時から、ドナルド・トランプ大統領に似ているという評価が出た。謹厳な表情をしたまま人差し指でどこかを指すマーシャルと、赤色の野球帽をかぶり彼に熱狂的な支持を送る“ファンダム”の調和は、確実にトランプ大統領を想起させる。
パティンソンの1人2役の演技を観るのもまた別の楽しみだ。運命に順応する小心なミッキー17と、システムを壊そうとする果敢なミッキー18をいずれも見事に表現した。話し方だけでなく声まで違って、大した困難なく、ミッキー17とミッキー18を区別することができる。
『トニ・コレット』、『ファニーゲーム』、『愛、アムール』などに参加したダリウス・コンジのダイナミックな撮影と、『パラサイト 半地下の家族』に続いて再びポン監督と協業したチョン・ジェイルの音楽は、耳と目を楽しませる。冷たくて荒涼としたミザンセーヌで、ディストピアの雰囲気を極大化した美術も見どころだ。
『ミッキー17』は韓国で28日に公開され、上映時間は137分、15歳以上観覧可だ。